2012年01月19日
志
無意識に光を
無意識をのさばらせるな
無意識を意識にさらせ
夜には昼を
あっさりと先が見える
あとは歩く意志と力あるのみ
自分の意識を信じきれるかどうかだ
誰でありたい?
誰を志す
無意識をのさばらせるな
無意識を意識にさらせ
夜には昼を
あっさりと先が見える
あとは歩く意志と力あるのみ
自分の意識を信じきれるかどうかだ
誰でありたい?
誰を志す
Posted by 海山 at
12:19
2011年09月23日
神庭
人には肉体以外にも霊的な身体として、感情・欲求体、精神・思考体、魂体というようなものがある。
そしてこれらを着込む主人公として意識がある。これが本来の自分である。
それぞれの体には癖があり趣向があり磁力となって放たれている。人はそれぞれの体のバランスを取ろうと欲し生命を動かす。
各体の磁力がそれぞれにバランスを取り合おうとせめぎ合い動機を促す。
低次の体の雑用素が消化・沈静化されるごとに主導権は高次の体、高次の意識へとシフトしてゆくことになる。
意識が経験値をつみ、本来の自分に合わないものを消化・沈静化させていくごとに、意識は本来の自分に向かって回帰進化してゆく。
本来の自分の魂の思い•愛•光などが引き出せるのはこの高次意識の段階である。
自分が何者なのかが自分に明かされてゆく。
それまでは幾度となく生まれ変わり来ては繰り返しの人生に虚しく揉まれ続けることになる。
地球体験をマスターすることによって、より体験の可能性を広め強めた魂、より真理を体得した者として、新しい未知の領域に向かって神庭を探遊し続けてゆくことができるようになる。
時に神庭の協働創造者にもなりながら。
それが魂旅という実像なのである。
そしてこれらを着込む主人公として意識がある。これが本来の自分である。
それぞれの体には癖があり趣向があり磁力となって放たれている。人はそれぞれの体のバランスを取ろうと欲し生命を動かす。
各体の磁力がそれぞれにバランスを取り合おうとせめぎ合い動機を促す。
低次の体の雑用素が消化・沈静化されるごとに主導権は高次の体、高次の意識へとシフトしてゆくことになる。
意識が経験値をつみ、本来の自分に合わないものを消化・沈静化させていくごとに、意識は本来の自分に向かって回帰進化してゆく。
本来の自分の魂の思い•愛•光などが引き出せるのはこの高次意識の段階である。
自分が何者なのかが自分に明かされてゆく。
それまでは幾度となく生まれ変わり来ては繰り返しの人生に虚しく揉まれ続けることになる。
地球体験をマスターすることによって、より体験の可能性を広め強めた魂、より真理を体得した者として、新しい未知の領域に向かって神庭を探遊し続けてゆくことができるようになる。
時に神庭の協働創造者にもなりながら。
それが魂旅という実像なのである。
Posted by 海山 at
11:32
2011年08月26日
瞑想
ただ魂と向き合う時間。
流れこむひととき。
一人の中、一対一が深められていく。
少しづつ、
少しづつ、
新しい自覚、新しい実感が広がってゆく。
Posted by 海山 at
13:29
2011年07月28日
感じろ
考えると分からなくなることがある。
そういう時は感じろ!
内なる魂の声を!
深き不変の自分の声を!
決して表層漂う感情や感覚の声に惑わされるな。
それらの本質は常に流動他我。
一方、魂の本質は常に不変真我。
真我こそ不変の豊穣を心にもたらしてくれるもだから。
迷った時は、感じろ!
自分に流れる生命の源を!
そういう時は感じろ!
内なる魂の声を!
深き不変の自分の声を!
決して表層漂う感情や感覚の声に惑わされるな。
それらの本質は常に流動他我。
一方、魂の本質は常に不変真我。
真我こそ不変の豊穣を心にもたらしてくれるもだから。
迷った時は、感じろ!
自分に流れる生命の源を!
Posted by 海山 at
20:29
2011年07月26日
可能性
生命の神秘を解きほぐす体現者が何人か現れれば、
やれ電力はどうだ、政治はどうだ、経済はどうだ、などといった人の心が作り出してきた数々の戯曲は終焉を迎えるのだろう。
そんなのどうでもいい。
もっと抜本の舞台から向き合え、と。
本来の生命の体感と喜びを享受する価値観が浸透していくのやもしれぬ。
生き始め、体現し始めていくのだろう。
その舞台は、
人の心が作り出した舞台ではなく、
大いなる意志が作り出した舞台となろう。
意識達が属する土台がシフトする。
あらためて、舞台を見直さなくてはラットレースの住人であり続けるだけやもしれぬ。
僕達が生命をもって体感したい舞台とはどのようなものなのだろう。
大いなる意志が変遷の圧力を与えだしてきた現状にあって、もっと抜本の生命の舞台から捉え直すことは有用に思える。
僕達は、どこから来て、どこに帰るのか?
いつかは必ず帰る。
どのような姿で帰りたいと思うのか。
生命の原点を思い出したい。
これからの時代には可能性が与えられているのだから。
やれ電力はどうだ、政治はどうだ、経済はどうだ、などといった人の心が作り出してきた数々の戯曲は終焉を迎えるのだろう。
そんなのどうでもいい。
もっと抜本の舞台から向き合え、と。
本来の生命の体感と喜びを享受する価値観が浸透していくのやもしれぬ。
生き始め、体現し始めていくのだろう。
その舞台は、
人の心が作り出した舞台ではなく、
大いなる意志が作り出した舞台となろう。
意識達が属する土台がシフトする。
あらためて、舞台を見直さなくてはラットレースの住人であり続けるだけやもしれぬ。
僕達が生命をもって体感したい舞台とはどのようなものなのだろう。
大いなる意志が変遷の圧力を与えだしてきた現状にあって、もっと抜本の生命の舞台から捉え直すことは有用に思える。
僕達は、どこから来て、どこに帰るのか?
いつかは必ず帰る。
どのような姿で帰りたいと思うのか。
生命の原点を思い出したい。
これからの時代には可能性が与えられているのだから。
Posted by 海山 at
14:29
2011年07月25日
稲妻
ただただ
日々
様々な体験が過ぎゆく
様々な実感を刺激しては過ぎ去ってゆく
そんな中
自分にとっての本物だけは
いつまで経っても過ぎ去らない
本物だけが胸に残り
胸の霊粒子に響きを作り出している
本物だけが稲妻を誘う
本物だけが次の扉を共に開ける
日々
様々な体験が過ぎゆく
様々な実感を刺激しては過ぎ去ってゆく
そんな中
自分にとっての本物だけは
いつまで経っても過ぎ去らない
本物だけが胸に残り
胸の霊粒子に響きを作り出している
本物だけが稲妻を誘う
本物だけが次の扉を共に開ける
Posted by 海山 at
20:19
2011年07月15日
生命の実感
自然の中に身を置くと、
ただただ生命であることを感じれる。
意味や目的などを越えた、
ただただ生命である。
「永遠」に弄ばれた生命
現実という
心たちが創り出してきた実感ある幻想達が
同じ舞台の違う次元のあちらこちらで繰り広げられている。
方々の霊界ドラマが地上の方々に転写されている。
僕はどの範囲までの幻想に参加したいのだろうか。
崩れ去る方々の霊界の中に漂い、
自分の生命の居場所を探る。
永遠が与えてくれる属する「今」の実感の中で。
Posted by 海山 at
13:15
2011年06月22日
夏至
僕の感度が洗練されたのか?
空間の波動上昇率が数段高まったのか?
明らかに空間に実感ある変化を感じた。
いづれ壊れゆく社会に安心を求めるのもアホくさい。
自分自身に安心を求めたいものだ。
自分の深き存在に安心を求めたいものだ。
Posted by 海山 at
23:52
2011年06月21日
見、破る
影響されては見破り、
影響されては見破り、
まさに、心や意識の内に浸透しているその影響を破って、
人は自分自身の真実に近づいていく。
自分自身の真実を手に入れていく。
Posted by 海山 at
22:13
2011年06月10日
都会に向かって
都会に向かって。
そして大海に向かって。
流れゆく。
そしてまた、
霧となって雲となって、
雨となり、
大地を慈しむのだ。
永遠と。
どんな道を通過しようとも、
いづれは澄み、
水の一元素となって純な流れを再び流れゆく。
水の一元素は、太古の昔から多大な経験を記憶し続けていく。
今も、水の一元素、一元素達の旅路は、地球上で繰り広げられている。
Posted by 海山 at
03:23
2011年05月09日
日本
力強く、春日和。
山頂付近の岩盤に巨根を張る樫の木。
山里の美しい原風景の山頂にて、生命の漲りが伝わってくる。
ほがらかなる空間に
力
意欲
漲る。
Posted by 海山 at
14:54
2011年04月26日
処世術
社会を見抜いたなら周りに合わせてまっとうに生きた方がいい。
人生を見抜いたなら自分を生きた方がいい。
自分を見抜いたなら内なる声を生きるだけとなる。
Posted by 海山 at
21:20
2011年04月05日
ビジョン
シフトの時代に向かって、
一人一人、胸を澄ませば
自分のビジョン、自分の理想が胸に流れ込んでくるはずだ。
自分のことは自分が一番知っている。
自分のことは自分が一番感じている。
あとは、望む本質、向かう本質を見極めて、
心、向かうかどうかだ。
Posted by 海山 at
13:02
2011年03月15日
置く
今のような状況においては、
どこに身を置くのか、
どこに心を置くのか、
まわりに振り回されず、
情報に振り回されず、
「らしく」あったらいいのだ。
「らしく」あったほうがいいのだ。
「らしく」あるべきなのだ。
自分らしく
冷静さを保って
自分らしく
自分らしさに自分を置くことを心掛けよう。
魂が自分らしさと共に生き始めてくれるから。
魂が自分らしさの中に入り込んできてくれるから。
魂が内なる感覚となって、自分の「次」を感じさせてくれるから。
どこに身を置くのか、
どこに心を置くのか、
まわりに振り回されず、
情報に振り回されず、
「らしく」あったらいいのだ。
「らしく」あったほうがいいのだ。
「らしく」あるべきなのだ。
自分らしく
冷静さを保って
自分らしく
自分らしさに自分を置くことを心掛けよう。
魂が自分らしさと共に生き始めてくれるから。
魂が自分らしさの中に入り込んできてくれるから。
魂が内なる感覚となって、自分の「次」を感じさせてくれるから。
Posted by 海山 at
16:00
2011年03月04日
荒野
瞑想していたら、インディアンの精霊がやってきた。
そしたら、荒地広がる大地に一人いるような実感になった。
生命の糧となるような必要なものは目先にはどこにもない。
どこにいる(この場合、食料としての動物の群)のかも全くわからん。
ただ、感覚を澄ませて、感覚や自然の兆候を頼りに探しにいくしかない。
自分にとっての必要なもの、生命の糧を求めて。
そんな実感あるシーンを味わった後、ふと、今の環境と照らし合わせてみた。
あまりにも目の前に色々なもの(人や物や情報)が所狭しと動いている。
本当に必要なものを意識するまえに、色々なものが前を通り過ぎていく。
色々なものが楽しそうに見える。
色々なものが心のふとした隙間を埋めてくれるように感じる。
これが「幸せ」なのか?
これが「豊かさ」なのか?
これが「人生」なのか?
インディアンの精霊は何を伝えたかったのか?
感じたのは、
深くでフィットしたものを得たいと感じた。
細胞でフィットしたものを得たいと感じた。
自分にとっての本物を噛み締めたいと感じた。
Posted by 海山 at
23:17
2011年02月27日
春うらら
春うらら
なんか好きな言葉だ。
意味はわからんがなんか響きがいい。
言霊的には、
「う」は、中心の響き
「ら」は、外に向かって広がりゆく響き
「うら」だけだとまさに表と裏の裏の意。
目に見える世界を表とすれば、
表の世界を育み維持するエナジーが裏。
この「うら」にもうひとつ「ら」。
裏の世界に、何かが響き渡る様がより伝わってくる。
春うらら
春が、表の世界にも裏の世界にも浸透しだして、小さな細胞レベルから共鳴し広がりゆく様が伝わる感じだ。
なんかいい。
そろそろ春が伝わり始めてきたな。
Posted by 海山 at
13:09
2011年02月21日
新鮮なる波動
粒子の細かい新鮮なる波動が全体の空間に流れ込み出しているのを感じている。
どっかの高原で深呼吸した時のような新鮮な感覚が、渋谷などのゴチャゴチャした空間でも引き出しやすくなっている。
本来、元々あり、全体に隈なく広がり流流としていた波動ではありますが、
実感の実状は、人々が放ち続ける様々なエネルギーが太陽を遮る雲の如く、厳然と覆っているような感じでした。
そして、この覆いの中で生まれ、生きることにより、人の意識や心も自然必然に覆いが膜をはっている。
この覆われに、空間の変化、空間内の圧のバランスの変化により、新鮮な波動が染み込み始めているように感じています。
着実に大いなる生命が流流浸透し変化し出していると感じる。
天晴れ天晴れ
天晴れへの下準備が整い始めているように感じている。
Posted by 海山 at
20:13
2011年02月07日
生命
ひとりひとりに人生あり。
ひとりひとりに思いあり。
思いなき人などひとりもいない。
重き重き、積み重なり積み重なる、
連なり、綿々と連なり、
受け継ぎ、連連と受け継ぐ、
ヒューマニティーの大渦の中で、
ひとりひとりの心の中には、いろんな思いが生きている。
いろんな思いが発生している。
ひとりひとりの思いが、現代社会を生き抜いている。
ひとりひとりがみな何かを抱え、抱き、現代社会を生きている。
人に向かう思いでもいい、
自分に向かう思いでもいい、
ひとりひとりが自分の思いの友、自分の思いへのちょっとでもいい勝利者であればいい。
いつか自分自身に自分の人生の意味が紐解かれる時が来るであろう。
その時、ちょっとでも微笑むことができたなら、
その時、ちょっとでも誇りに思うことができたなら、
生命の旅路は上々であろう。
連連綿々、積積重々、ひとりひとりの生命が響き続けてゆく。
ひとりひとりに思いあり。
思いなき人などひとりもいない。
重き重き、積み重なり積み重なる、
連なり、綿々と連なり、
受け継ぎ、連連と受け継ぐ、
ヒューマニティーの大渦の中で、
ひとりひとりの心の中には、いろんな思いが生きている。
いろんな思いが発生している。
ひとりひとりの思いが、現代社会を生き抜いている。
ひとりひとりがみな何かを抱え、抱き、現代社会を生きている。
人に向かう思いでもいい、
自分に向かう思いでもいい、
ひとりひとりが自分の思いの友、自分の思いへのちょっとでもいい勝利者であればいい。
いつか自分自身に自分の人生の意味が紐解かれる時が来るであろう。
その時、ちょっとでも微笑むことができたなら、
その時、ちょっとでも誇りに思うことができたなら、
生命の旅路は上々であろう。
連連綿々、積積重々、ひとりひとりの生命が響き続けてゆく。
Posted by 海山 at
21:57


